夕張の農業
周囲を山岳に囲まれ寒暖差が著しい環境の中、試行錯誤を繰り返し、
今や全国ブランドとしての地位を確立した「夕張メロン」を生み出した。
農業のあらまし
農業の夜明け農業の夜明け
 夕張町年代録によれば、明治25年に「町内二於ケル農業コノ年ヨリ始マル」とあり、明治23年夕張炭山開坑地も貸下げを待たず入植していたと思われるが、明治31年御料地の開放とともに入植者が増加した。
 作付けは、豆の雑穀等の他、炭鉱向けのナス、キュウリ、スイカなどが作付けされ、現在特産として育成中の野菜も早くから栽培されていたので、産地のルーツは古いといえる。
気候と土性
 本市は、山間地にあるため地勢は高く(農業中心地、沼ノ沢、標高175m)また、周囲を山岳に囲まれた環境から最低気温と最高気温差が著しい。
土性は、農地の大半が樽前系火山灰に覆われ、地力は薄く、土地生産性は低い。
農業地域 農業地域
 本市の農業地域は、三方を山岳に囲まれた地勢的環境から、農地は夕張川など中小河川の沿岸に帯状に拓け、河川流域以外農耕敵地を求められない土地条件から、耕地規模は零細で農業条件は恵まれていない。
特産夕張メロンの誕生特産夕張メロンの誕生
 夕張メロン栽培の起源は、大正12〜13年頃までさかのぼることができ、昭和5年ごろには、数種の栽培も試みましたが、十分な糖度が得られずに立ち消えとなり、当時の食糧事情から、次第に減少し戦争の激化とともに消え去っていった。
 当時の夕張農業は、雑穀・豆類・一般野菜中心の戦前同様の経営で農業所得も低く、農外収入によって生計を立てていた。こういった時代背景のもと自立安定を図ることが困難なことから、夕張市の狭い地形では収益性の高い農作物を生産するしかなく、当然メロンの栽培が真剣に見直されることとなり、新しい品種の研究、育成が再開された。
 昭和35年4月、17名の有志により夕張メロン組合が設立され、数々の試験栽培を繰り返し同年現在のF1(一代雑種)夕張キングが作出された。こうして多年の願望である新品種が作出されたことにより、夕張市のメロン栽培の方向付けがなされた。作付、栽培、撰果、出荷と一元的に生産組合を中心に農協と一体となり、取り組んだ結果、昭和40年から50年ごろには北海道を代表する産地となった。
 「夕張メロン」は昭和35年スタート当初から、一元出荷全量体制を確立し、品質の統一、安定化は他に類を見ない産地作りとして高く評価され、名称も商標登録を受けたところである。一村一品運動の先駆者として、5月のメロン初出荷には全国ニュースとして取り上げられ、今や全国ブランドとしての地位を確立している。